愚痴を言いたくなることもある。しかし、愚痴を言った直後はすっきりしても、また同じような現象に出くわし、同じような愚痴を口にする。愚痴を言った直後のすっきり感は本人にとって報酬になる。また、聴き手がその愚痴にのった場合は、さらに愚痴を口にする行動が強化され、習慣になる。
愚痴を言っていても、幸せにはならない。とわかっていても習慣になってしまっているため、簡単には止めることができない。
そもそも、愚痴を言いはじめる原因は、やらされ感にある。例えば、組織(小さなチームも組織)にいる場合、目標が与えられる。自分で決める場合もあるが、そもそもの大目標は与えられるケースが圧倒的に多い。その目標を達成したところで、動機付かない。動機付かないため、達成感を得ようと試行錯誤をしたり、新たな知識や技術を身に付けようとしたりする意欲は出てこない。
とはいえ、多くの人間は組織で仕事をする。その場合、どうすれば愚痴を言う習慣を外していけるのか。目標の先に実現したいモノゴトを自分で決める。目標の先に実現したいモノゴトは、組織の制約を受けることは無い。組織の制約を受けないモノゴトであれば、自分を動機づけやすい。動機づけやすければ、続けやすくなる。
愚痴を言う気持ちはとてもわかる。しかし、愚痴をどれだけ言っていても、自分の状況は変わらない。時間とともにより悪くなっていくケースが圧倒的に多い。
人間、ネガティブなモノゴトよりも、ポジティブなモノゴトに近づく。行動科学や脳科学の研究結果によると、人間は快に接近し、不快を回避する。快はポジティブ、不快はネガティブ。つまり、愚痴を言っていると、人が離れていく。距離を取るようになる。人間、1人で生きようとした直後は、しばらくはラクになる。しかし、そのラクが終わると、不安になっていく。また、人に関わりたくなっていく。それをするための習慣が失われているケースが圧倒的に多く、もとの生活に戻ることが難しくなる。
であれば、自分が動機付く、目標の先に実現したいモノゴトをすぐにみえなくても、考え続けた方が良い。いずれ必ず見いだせる。目標は必要。人間、1人では生きづらい。組織やチームが必要になる。そこには必ず目標がある。
目標とその先に実現したい、つまり動機づけられるモノゴト。これがとても大切。
老け込んでいく過去の話も同じ。