ストーリーが大事なこともわかる。箇条書きよりも頭に自然に入ってくるため。箇条書きはロジカルなもの。もれなく、だぶりなく。の系統。これも大事なこと。人に伝える場合に、人が聴く負担感を下げることができる。
ストーリーが大事だと口にする人の中に、おそらくストーリーを持ち合わせていない人がいる。聖書などのベストセラー本、神話から抽出された千の顔を持つ英雄、それを参考にした興行収入の高い映画に共通するハリウッド式。
これらを知識として身に付けて口にする人達。この人達に共通するのは、話を聴いても魅了されない、引き込まれない。この原因は、頭の中でイメージ・絵を想像し、それをシミュレーションしながら、今はありえない状態を臨場感あるレベルで変化させていく習慣が不足していることにある。
そもそも、絵・イメージをこのようにシミュレーションできていれば、それを人に伝える場合、必然的にストーリーになる。論理などの言語に依存する場合、いくらストーリーと言っても、そもそも、ストーリーを紡ぎだす情報が無さすぎる。かすかすのストーリーではひとは魅了されない。
先生たちは「ストーリーが大事「ストーリーで語るべき」のようなことを知識として口にしているのか?それとも、身体感覚・経験をもとに言っているのか?この違いは大きい。身体感覚・経験がある人の場合、勘所がわかっている。
平穏な日常。試練が急に起こる。その試練を努力の末超える。大事な人の離別がある・・・・。のような波。落ちたり、上がったり、また落ちたり、その繰り返し。人の感情が動く。それだけのこと。人間、単調なものには飽きるだけのこと。
知識を教えるのは人がやる必要はない。ネット上に置いておいてくれればよい。わざわざ人の時間を拘束するまでもない。