スマートフォンなどのデジタルツールがつくる行動と思考の習慣

自分の快になるものをどんどん取り込み、
自分が不快になるものをどんどん排除する。

YouTubeにしてもYahooニュースにしても、自分が不快になるものは早送りや削除ができる。運営サイドが個人の傾向にもとづいて、その個人が快になるものをあててくる。ますます、自分にとって快になるものが増えていく。応用行動分析学で言われるように「人間、快に接近し、不快を回避する」その通りだと。

テレビやラジオに比べて、不快への耐性が下がっていく。オンラインも同じ。例えば、オンラインで営業を受ける場合、不快なものは簡単にスルーできる。オフラインで、対面で接触している場合は、営業担当が発する不快な刺激をがまんする必要があった。オンラインでは、我慢しなくていい。

相手に不快を与えた場合、モノゴトが先に進みづらくなっている。人材の育成も同様。スマートフォンやデジタルツールで行動と思考の習慣をつくってきた人達を育てるには、それ以前の人達とは変える必要がある。それ以前であれば、理不尽な負荷をかけてある程度は耐える、不快への耐性があった。

「弱くなるから、(以前のように)負荷をかけた方が良い」と考えていては先には進めない。衰退するだけ。負荷のかけ方が変わっているだけのこと。負荷のかけ方を変えることで、以前の世代よりも、速く成長することはすでにわかっている。

人が弱くなったわけではない。環境が変わり、人の思考と行動の習慣が変わっただけのこと。その習慣を制約条件にしたやり方をつくっていけばよいだけのこと。