創造は人との関わりの中から生まれる。しかし、それができない原因

目先の自分の自尊心・自尊感情を維持してしまう。その結果、相手を否定してしまう。

創造の目的はお互いの利益を共につくること。大切なことは相手が小さな成長をすること。相手の成長の先に、自分自身の利益があること。利益には金銭的なものと非金銭的なものがある。相手の利益と自分の利益が直結させておく必要がある。これがそもそもの前提。相手と利益と自分の利益が直結できない場合、創造は発生しない。創造よりもすでにあるものをどの比率で分割するかに落ち着く。

人との関わりの中で、相手からのインプットがある。動作や言葉。

「それは何か?」

「なぜ、相手はそう言うのか?意図は何か?」

「そもそも、相手は何を必要としているのか?」

この問いかけが自分自身を客体化・俯瞰していく。しかし、この問いかけが無い場合、相手の意見を否定してしまう。自分が否定されてように認識するため。この否定が発生した時点で、創造は止まる。否定は創造のための対話の数を減少させる。

「ぶつかり合うことがたいせつ」という考えもある。これが成立する前提は、各自が自分のことを客観視・俯瞰できる場合。自分のことを客観視・俯瞰できる人は10人中1人いれば良い方です。ぶつかり合うと心理的な負担が増す。負担も対話の数を減少させる。もう一つの前提は、お互いの逃げられない一蓮托生の関係にありかつ、お互いの序列が無い場合。

議論のルールで「他人の意見を否定しない」とグランドルールを導入する場合がある。しかし、これでは創造は発生しない。そもそも、その場にいる人全員が、自分自身のことを客体化・俯瞰できる人ばかりではない。客体化・俯瞰できず、相手の意見を否定できない場合、そもそも、相手の話を聴くことができなくなる。人間には感情がある。「なんだか気分が悪い」。

そもそも、自分のことを客観視・俯瞰できないということは、まだ、仕事で必要な専門技術・技能と知識が不足しており、自己効力感が低い状態。この状態で創造は起きづらい。自己効力感が低いということは、その全体の自己肯定感も低い。自己肯定感が低いため、自分が否定・傷つけられたと認識し、相手の否定・攻撃する。

しかし、対話する相手全てが、自分のことを客観視・俯瞰できていることは、ほぼない。この状態を解決するためには、

なぜ、〇〇と伝えたかの目的「〇〇のため、〇〇と伝えている」。

なぜ、〇〇と伝えたかの背景「そもそも、なぜ、〇〇を伝えたか、それは〇〇の前提がある」。

このように言葉を補足する必要がある。

「他人の意見を否定しない」グランドルールより、創造を進める効果がある。

人との関わりの中で創造が進むこと自体が非金銭的な利益、報酬になる。一旦、創造がはじまると、この利益・報酬を得たいがために、創造のためのプロセスが繰り返される。