相手のことを悪気なく想像しない自分本位・自分都合の弊害

相手のことを想像しない。

相手は今どのような状況にあるのか?

相手は今、何で困っているのか?

困っている場合に、何に困っているかわからない。

困っていることを伝えても相手は聴く耳はなかなか持てない。

どうやって相手の自尊心を傷つけずに気づいてもらうか。

相手は今、何を必要としているのか?

相手は半年後、一年後にどうなっているのか?

相手の周辺の半年後、1年後はどうなっているのか?

その周辺の状況は、相手にどのような影響を及ぼすのか?

もし、相手にとってマイナスに働くと想像できる場合はいま、何を伝えるのか?

このようなことを想像する。

それを想像することで、自分が繁栄すると想定できる。

この場合、自分本位であっても、自分と相手の利害は重なり合う部分がある。

Win winのような軽い、表層的な、目先の浅はかな話ではない。

このように相手の事を想像せずに、自分のことだけを考えて行動する。目先は良くても、信頼関係は醸成されることはない。“策”や“裏”はいずれ顕在化する。“策”や“裏”が顕在化しないようにすることで、ムダな集中力が使われ、創造力・クリエイティビティを阻害する。

「〇〇がはやっている」。ここで思考を止める。はやっていることで売上金額は以前よりも増える。しかし、多くの場合、中間に介在する人がいるため、利益はほぼ出ない。マイナスになることもある。思考を止めないためにも、関わってくださっている相手のことを想像する。「相手のことを考える」と言う場合、多くは、文字、文字列で考えている。文字、文字列の限界は、現状の常識・ルールと比べた場合、ありえない状況を想定する変数を設定し、シミュレーションすることができない。文字・文字列は、イメージ、空間・奥行があり、時間軸があり、変数を設定できる絵を検証するためにある。

「相手の立場で考える」。多くの場合、これは相手の事を想像しない自分本位・自分都合に陥りやすい。相手のことを想像した自分本位・自分都合になっていくには想像力が必要になっていく。そのような常識にもとづいた教育の範囲では、残念ながら教えられることは無い。

誰も悪気はない。ただ、想像力が不足しているだけのこと。