意図的に大風呂敷を広げる人の効用

調べれば、答らしきものがすぐに得られる。問題が解決されたようになる。根本の問題は解決されてはいない。それでも、すぐには大きな問題が発生しないため、日々過ぎていく。対処で都度都度しのぎ、日が過ぎていく。

このような状況は、組織にとって衰退を促していく。

他人の利益になり、その結果、自分の利益にもなることであれば、大風呂敷を広げた方が良い。そのような人がいた方が良い。そのような人がいることで、各自が身体化している常識、日常のあたりまえが何かに気が付いてくことができる。常識は身体化され条件反射で使われるから常識。振り返りをしても気づくものではない。常識が何かがわかり、その常識の中で、機能していない常識がわかる。これが、新たな需要の創造の入り口。

気づくためには、理解できる範囲で異質なもの、異常なものに遭遇する必要がある。その場が異化される。これは芸術の機能の1つ。

芸術大学を出た人が「ルネサンス期のメディチ家のようなポジションと機能を、現代で実現する」「その一環で、芸術大学を買い取る」と大風呂敷を広げる価値はある。このようなビジョンは、自分がしたいこと、勝手な欲求でもある一方で、世の中にまともな雇用をつくることができる。他人の利益をはかることで、自らを繁栄する。このビジョンがあることで、現状と差が見える。その差が、解くべき課題群になる。

おもしろみのあるビジョンがないことには、現状維持が進む。現状維持は衰退。需要はいずれ枯れる。おもしろみのあるビジョンがあることで、現状に満足できなくなる。