問題解決につながらない正論やきれいごとを口にする原因。ではどうすればよいのか?

正論やきれいごとを人から言われる。言われたことはごもっともなため否定できない。「はい」としか反応ができない。しかし、現状の問題は何も解決しない。このような状況が変わらず続いている。

正論やきれいごとを口にする人は、自分のポジションを維持することが目的になっているとしか考えられない。「〇〇さんのことを考えて、〇〇さんのために(正論やきれいごと)言っている」と念を押してくださるケースもある。

この「〇〇さんのために」は企業の方針「お客様のために」と同じ機能がある。「お客様のために」は過去につくられた定石、勝ちパターンを踏襲することで上手くいくことがわかっているため、使われる。組織と個人の思考が固定化・ルーティン化される。生産性はあがる。

しかし、社会環境が変わり、お客様の行動と思考が変わり、事業環境が変わると「お客様のために」が機能しなくなる。過去に上手くいった定石・勝ちパターンがお客様に刺さらなくなるため。組織と個人の思考が固定化・ルーティン化されているため、お客様に刺さらない原因を他責にする。「(お客様が)わかっていない」「消極的」「ネガティブ」などの言葉で結論付けられる。

「なぜ、上手くいかないのか?」「どうすれば、上手くいくのか?」を問う。しかし、そもそも、今のお客様の感情、思考、行動を想像できないため、「なぜ?」を深めることができなくなっている。

今の相手を知る。関わって得られる事実・ファクトは相手のほんの一側面にしかすぎない。この一側面だけを根拠にする。とうぜん、上手くいくわけがない。一側面の事実・ファクトから相手のことを想像する。この想像には明確な根拠となる事実・ファクトはない。

その結果、明確な根拠で説明がつかないため、過去に立脚した正論やきれいごとに想像が負ける。人間、快に近づき、不快を回避する。これは行動科学の原理原則。私自身、はじめはこの原理原則に抵抗があった。しかし、約10年近く使いこなしているうちに、とても納得がいくようになっている。

正論やきれいごとは、確かに常識で判断すれば、否定できない。しかし、正論やきれいごとを聞かされても、行動が変わることはない。行動がかわらないため、思考も変わらない。正論やきれいごとは、はじめる負担感が極めて高い。方針のように抽象度が高いため、具体的にどうすれば良いのかの検討が付かない。不快になる。がんばっておそらくこうではないかと仮説をつくりやってみるが、正論やきれいごとを口にする人から「それは違う」「そうではない」のようなネガティブなフィードバックだけが返ってくる。不快になる。

人間、不快を回避する。目の前の問題を解決し、目先の火消しをしなければならない。正論、きれいごと、方針では火は消えない。まして、火を消した先々にどこに向かうのかを想像できていないケースの方が圧倒的に多い。そもそも、少ない事実から勝手に想像する習慣が組織から不足しているため。向かう先を想い描くには想像が必要になる。想像が無い状態で、「先が見えない時代」と言いながら、事業戦略や計画が時間をかけつくられる。戦略をつくる、計画をつくるは正論、きれいごと。しかし、目指すところが想像できていない戦略と計画には意味はない。「なぜ、そう言えるのか?」「ほんとうにそうなのか?」を問う習慣も不足しているといえる。

相手のことを、相手の利益を考えているのであれば、正論やきれいごとを言う習慣は無くなる。相手のこと、相手の利益を考えているのであれば、相手がどうすれば動くことができるのか?を具体的に想像するようになるため。