知識を教えても、物事の観方・考え方は変わらない。

例えば、対話・ダイアローグと議論・ディスカッション。

対話・ダイアローグは話を拡散させる。
つまりアイデアを出す。

議論・ディスカッションは話を集約させる。
つまり結論を出す。

この知識がわかったからといって、
実際にできるわけではない。

目的はある特定の問題を解決するため。

①問題を解決しようとしているのか?
それとも、②自分の存在をアピールしようとしているのか?
ただ、③仕事をしている感を得たいだけなのか?

①で取り組む人は想定よりも少ない。

物事の観方・考え方が変わり視座があがる。
視座があがることで、
自分の立場から相手の立場になっていく。

相手の立場から想像ができない人達が、
どれだけ話をしても問題は解決できない。
問題が増えていくだけ。

知識はだいじだが、それ以上に、
物事の観方・考え方を変える訓練をした方が良い。

知識をあたえる方が効率は良い。
達成度が簡単に計測できる。
やった感が得られる。
評価もされる。

効率化すべきことと、すべきでないことがある。
にもかかわらず、すべてを効率化しようとする。
その結果、対話・ダイアローグが無くなり、
議論・ディスカッションをして結論をすぐに出したがる。
対話・ダイアローグが無い議論・ディスカッションは、
過去の焼き直し。わざわざ時間をとる必要はない。

対話・ダイアローグが機能するには、
相手の立場から想像ができる人たちだけ。

相手のことを考えているように見せるが、
実は自分のことだけを考えている。
本人も悪気はないケースがある。
本人の視座が低いだけのこと。
視座を上げてあげる訓練をしてあげればよい。

解かなくても良い問題を増やさないためにも。

自律型人材の育成『相手の立場から勝手に想像する訓練』