芸術と応用行動分析(行動科学)の根本はとても似ている

「人間は『快(感)に接近し』『不快(感)を回避する』」

これは応用行動分析学(行動科学)を一言でまとめるとこうなる。とてもおもしろい。私が応用行動分析学がとても好きな要因。

快は人によってことなる。快を得られるまでに我慢できる期間も異なる。したがって、報酬を先取りしながら、仮説検証、試行錯誤を続けられる人もいれば、目の前の快を欲し、目先の困難を回避し、大きな困難にぶち当たる人もいる。

芸術は定義できない。定義したとたん、芸術の価値は消えていく。私が芸術がとても好きな要因。個人の主観・感情が起点になる。

科学は分析、分けていく。芸術は統合、包括していく。ベクトルが異なる。しかし、芸術の個人の主観・感情と、応用行動分析学の快は、とても距離が近い。

  • 売れ続けるスマートフォンのハードとソフト・アプリは、この人間の原理原則にもとづいて開発をしている。
  • 人災・ヒューマンエラーはこの人間の原理原則が発動した結果、発生している。

しかし、多くの人達はこの「人間は『快(感)に接近し』『不快(感)を回避する』」に拒否反応を示す。

応用行動分析学は、社会的に重要な行動とその制御変数の関係に焦点をあてる。刺激と行動(反応)の関係。行動の予測と制御を徹底する。仮説のために仮説をつくることはしない。介入、つまりやってみることと、その効果の評価を繰り返す。試行錯誤が必要な事業環境では、きわめて実践的。

環境が独立変数、人間の行動が従属変数。環境を操作し、人間の行動を変える。とてもわかりやすい。心を行動の発動原因にしない。心に呼び掛けることはしない。心や意識に直接、働きかけようとするから結果が出ない。心や意識は行動が変わった結果、変わるもの。順番があるにもかかわらず、心や意識からはじめようとする。。。変わるわけがない。

なぜだか人間の多くは、心を行動の発動の原因にしようとする。心で行動は変わらない。モチベーションが高くても、問題解決の具体的なやり方がわからなければ、モチベーションは駄々下がる。誰でも体験しているはずなのに。

人間の多くはきれいごとや正論を必要とするためなのか。。。きれいごとや正論、他の人達の成功事例を参考に失敗しない選択をする。結果として失敗する。目先は何となく「いい感じ」になるだけ。