さまざまな考え方ややり口が、次から次へと発信される。何をよりどころにすれば良いかがわからない。では、どうすれば良いのか?普遍は何か?

毎日、毎日、ネット上に新たな考え方ややり口が公開されていく。一見、矛盾する考え方ややり口があったりする。どちらが正しいのか?つい、考えてします。すべての考え方ややり口は正しい。立場、直面している問題によって、正しい場合もあれば、そうではない場合もある。

矛盾を矛盾なく矛盾のまま取り扱うことができれば良いなと思う。しかし、そのためには、ずいぶんと視座を上げ下げする必要がある。これは極めて難しい。自分が経験していない視座を想像することはとても困難。

そんな中で、どうやって生きていけばよいのか?

情報を遮断する。これも1つの手段。しかし、それは現実的では無い。インプットは多いほうが良い。無駄な努力をしなくても済むため。

何が普遍性があるのか?私が行動科学、応用行動分析学がとても好きな背景はここにあります。

行動分析学、応用行動分析学を使えば使うほど観えていくことがあります。

「人間、不快を回避し」「快に接近する」

ここに行き着く。人によって快に接近するまで我慢できる時間は異なります。今すぐ快を得たい人もいれば、数年先まで快が得られることを待つことができる人もいる。

商売・ビジネスの「快」は、外発的な動機付けの「達成感」や「承認」、内発的な動機付けの「自己コントロール感」、報酬の先取りの「想い描く状態に”近づいている”」。これらの快は継続するための非金銭的な報酬になる。

「人間、不快を回避し」「快に接近する」

これは人間をやっている、生物をやっている場合の本質だと私は考えています。困ったときのよりどころになる。

もう1つのよりどころは
「そもそも、何がしたいのか?」「より上位の目的は何なのか?」。

人それぞれ目的は異なる。目的が異なれば、取入れる手段も異なる。視座が変われば、目的も変わっていく。目的が一律ではなくなっている。各自で目的を創造していく必要が出てきている。

目的は結局「自分がどのように生きていきたいのか?」になっていく。

人の役に立ち、人の利益をつくり、自分も繁栄したい。のような目的であれば、所定内労働時間内に、という考え方は無くなっていく。所定内労働時間は、言われたことを、ある程度決められたやり口で、より速く、よりミスなく対処する役割を担う場合に適合する。人のせい、他責にできる。

これを目的にする人は、それはそれで良いこと。何が良いか、何を選ぶのかは、人それぞれ、それぞれ価値観は異なる。良い悪いを人が判断し、強制、強要するものではない。

各自の自由度は高まっていく。自由度が高まることは、他責にできる範囲が狭くなるということ。

自分の快は何なのか?自分の感情のレベル。好きか嫌いか。

パターン化できる業務は、人件費よりもロボットの導入・運用コストが低くなった場合に、一気に置き換わる。これは今までも起きていること。「自分の業務はパターン化が難しい」と思っていることは、いがいとパターンであったりする。気づいたことろには、ロボットに置き換わっている。

仕事は誰か特定の人の問題を解決すること。これが本質。問題を抱えない人はいないため。相手を誰にするのか?その相手の行動、思考、感情、心理をできるかぎり、相手の立場から想像する。これも普遍性がある。

しかし、組織で分業化された職務を担い続けていると、いつのまにか、自分もしくは自社の立場からでしか想像ができなくなる。スローガンでは「お客様のために」、「あなたのためを思って」という。しかし、実情は相手が不在、自分の立場、自分の都合から発想をしてしまう。本人は自覚は無い。

【人間、不快を回避し、快に接近する】

【そもそもの目的:自分はどのように生きていきたいのか?】

【相手の立場から、相手の行動、思考、感情、心理を想像する】

これらは仕事をする人にとって普遍性がある。

インプットは増やす必要がある。インプットを増やして、わからなくなったら、ここに立ち返る。