YKK AP・YKKとTKCの共通点。頭ではわかるが、実践を続けるのは難しい。なぜなのか?どうすれば良いのか?

どこかで「自分のことを大事にしてもらいたい」「自分のことを気にかけて欲しい」「かまってほしい」と思う。子供なら可愛げがある。しかし、私には可愛げが無い。あるわけもない。

社会の中で生きている大人たち。その中で迷惑をかける人たちは、恐れく、子供だったら可愛げがあるんだろう。そうななりたくないと、常々思います。

建材のYKK APとファスナーのYKKの創業者 吉田忠雄さんが構想された「善之巡環」:他人の利益をはからずして、自らの繁栄はない。

会計士・税理士等向けの会計ソフト、TKC全国会をつくられたTKCの創業者 飯塚毅さんが大事にされていた「自利利他」:自利とは利他を言う。

いずれの企業とも縁があり、お付き合いが続いています。「善之巡環」「自利利他」ともに同じ哲学・精神だと、頭で理解するだけではなく、弊社で実践する中で実感があります。

これらの哲学・精神は当然、人に強制するものではないと考えています。哲学・精神は、各自がどのように生きていきたいかの価値観に直結するため。それぞれ生き方、大事にするものは異なって良い。

「善之巡環」「自利利他」を機能させるには、あたりまえですが、相手の立場から相手のことを想像する、そのために、相手にことを知る必要がある。知るには関わる。関わり方も薄っぺらいものではない、相手との共働関係がいる。共働するなかで、相手の行動・思考・感情・心理がわかってくる。そのわかったことをもとにしながら、相手の先々のことを想い描く。その実現に関わっていく。その結果、自分も楽しく生きていける。そのための金銭的な利益も得ていける。相手に期待してもらえるようになる。期待に応えようと努力する。そのために、問題解決に必要な知識やスキルを身に付けるようになる。相手との関係性が希薄な状態で、知識やスキルを身に付けても、使えるものにならない原因が良くわかります。

このあたりまえのことが、できていれば、もうすこしまともな社会になると私は思っています。自分や組織の都合を、悪気無く押し付ける場面に遭遇することが多い。

とわいえ、私も人間。こと家庭内ではたまに「自分のことを気にかけて欲しい」「かまってほしい」と思うことがある。「気にもらっている」「かまってももらっている」が、もっとなんだろう。それでも、家族の都合を前にしていくことで、家族は楽しく生活と仕事ができる、私自身もそれをみていて楽しくなり、仕事にも励むことができる。ありがたいと常々思う。家族がいなければ、今の自分はいないことも自覚している。

目先と先々。あたまでわかっていても、どうしても目先の快に接近したくなる。行動科学、応用行動分析学はよくできている。人間、快に接近し不快を回避する。

上司が部下に対して、営業が取引先に対して「こんなにやってあげているのに」。頑張って関わっているのは事実。しかし、自分の都合が優位で関わっていることは明らかです。自分よりも相手の都合を優先することは、言葉では簡単ですが、実践を続けることは難しい。

一度でも、相手の都合を優先して動き、その結果、自分も楽しくなった、自分も幸せな気分になった経験、身体感覚があれば、継続はしやすくなる。頭でわかるだけでは、継続はできない。

利口ぶらずに、カッコつけずに「やることの意義」「やってしまうことの意義」はとても大きい。