「うすっぺらい」人。何が原因でそう人は認知するのか?

はじめは優秀にみえる。話し方も話す内容も論理的で無駄がない。しかし、2回、3回と関わる中で「?」と疑問がわきはじめる。趣味の話以外、具体的な話が一切出てこない。仕事が前に進まない。

その直後に「この人、うすっぺらい」と認知する。悪い人ではない、人をだますような人ではない。しかし、「これ以上、関わりたくないなぁ」と思うようになる。

保育園に行くことがある。言葉が通じ始める3歳ごろの人の中には「うすっぺらいなぁ」と思う人はいない。4歳以降は多少出始める。

人に飼われている動物の中にも「うすっぺれいなぁ」と思うケースもある。野良化している動物からはうすっぺれさは垣間見えない。

何が原因なのか?

弊社の2つの研究機関では、まだ検証は終わっていないが、おそらく「実感」がキーだと考えています。芸術や職人の世界で「実感」と言う言葉が使われる。ものを実際につくるため「身体感覚」が機能している。言葉には長けていないが、少ない言葉に重みや奥行きがみえる。

一方、組織で仕事をする人の場合、このような言葉の重みや奥行きがみえる人は、極めて少ない。創業者や組織を良くしようと仕事を続ける一部のリーダーに限られる。それ以外の方々は、言葉は巧みだが、中身が無い、具体性が無い、言葉から具体的な絵が観えてこない。

ロジカルに話ができる。プレゼンが流暢にできる。現状把握と分析ができる。しかし、うすっぺらい。そもそも、ロジカルに話す目的、プレゼンをする目的、現状把握と分析をする目的が、自分都合のものになっている。一見、仕事ができそうだが、数年、経過観察をしていると、突き抜けることは無いことがわかる。

本来向き合い解決すべき問題を回避してきた。組織の方針や上長の指示にはまじめに従う。上長からの確認には、ちゃんと報告をする。しかし、中身がともなっていない。中身までみようとする上長も少なくなっている。「やったか、やっていないか」。やった中身まで入らない。上長も様々な方針や指示、依頼を受ける。目先の対処で時間が終わる。

生産以外でも機械化が進む。機械のようにより速く、よりミスなくタスクをこなす人は必要なくなっている。先々の目指す目的と今を比べて、解くべき未知の問題を試行錯誤しながら解いていく。これがこれらかの仕事になっていく。身体感覚がともない実感を得ていく。言葉に奥行きと広がりが出る。うすっぺらくない。

弊社の2つの研究機関、応用行動分析学にもとづいたABAオペレーションズ研究センターと、芸術にもとづいたスマートクリエイティブマネジメント総合研究所が共働でこの疑問の答を出そうとしています。結局、人間が大事なので。