「何が正解なのか?」はやってみないとわからない。やってみることで観えてくる。では何から始めればよいのか?

「気をつけ」「休め」「前へ倣え(まえへならえ)」「回れ右」「右向け右」「左向け左」「頭右(かしらみぎ)」。

今でも身体の記憶に残っている。小中学校で集団行動に適応できれば、無事に一日が終えられた。「無事に一日が終えられる」「何事も無く一日が終えられる」。「なぜ?このようなことをするのか?」など疑問を持つと問題視され、めんどうくさいことになっていた。自発的に考えたり、行動したりすることは、自然に消えていく。外部からの刺激・指示があることで、反応・行動できるようになる。きれいな集団ができあがる。行動科学の理論で検証すると、とても理にかなっている。

仕事柄、組織で仕事をする方々の行動を観察し、思考の推定を続けています。「無事に一日が終えられた」「何事も無く一日が終えられた」。これは小さな達成感。人間、達成感(快)のあることを続ける。快が非金銭的な報酬になっている。行動科学で読み解くと、うまく習慣化できる教育がつくられたいたんだと感心する。この小さな達成感で今も仕事をしている人の数が圧倒的に多い。10人中6人以上はいるようにとらえています。

組織の方針・指示に疑問を持たずに、それを徹底する。徹底することで組織と自分の数字が確実に増える。そのような事業環境が続いていれば、この「無事に一日が終えられた」「何事も無く一日が終えられた」を報酬にして、日々を送ることが継続できた。その先に金銭的な報酬が確実に得られ続ける絵が観え、報酬の先取もできた。一方で相手のことを考えられない、想像できないようになっていく。相手のことを考える、想像するには立ち止まる必要がある。これは目先の非効率を生むため。仮説を構想する、仮説を検証すること自体が目先の非効率。

このような行動と思考の習慣を持ち続けている人たちが、自発的に思考をする、相手の立場で考える、挑戦をする行動と思考の習慣を身に付ける流れになっている。外部からの刺激・指示があることで、反応・行動するように習慣づけられている状態を変えていくには、意識やマインドからはじめても、変わることは無い。人件費よりもロボットの費用が圧倒的に安くなる前に、この以降を終える必要があると私は思っている。

何が正解かは無い。何が正解になるかも1つではない。少なくとも、相手の立場から相手のことを想像することは、商売であれば必要になる。商売以前に人間をしていくのなら、とうぜん持っておいた方が良いのは自明のことだと私は思う。取引先やお客様のことを、自分の立場からではなく、相手の立場から想像していかないと、商売にならないため。これは目先では極めて非効率、生産性が低いと周囲から思われることもある。

また、相手の立場から相手のことを想像できるようになっていくことで、パワハラなどの人を害する行動や思考は消えていくと考えています。パワハラを抑え込もうと罰則を設けても、証拠が残らないように巧妙かつ陰湿なものになっていくだけのこと。

何を効率化するのか?何は効率化しないのか?

方針・指示で動く組織で、創造やイノベーションは極めて起こりずらい。まずは、相手の立場から想像する。相手の立場から自分の打ち手を検証する。自分の立場は一旦、横に置く。

これは小さなことだけれど、今の時代の正解。

相手のことを考えるようになれば、何とか役に立ちたいと思い始める確率は上がる。役に立とうとすれば、インプットをしはじめる。インプットが増えれば、行動が起こりやすくなる。「わかってきた!」「できはじめてきた!」「近づいてきた!」などが小さな達成感になっていく。その結果、没頭する、夢中になることがおきはじめる。没頭する、夢中になることで、習熟、熟達がはやくなる。熟達は創造・クリエイティビティを高めていく前提条件。イノベーションが起こりやすくなる。