社会の中で生きていくには「人に恥じない生き方を考えながらやっていく」こと

弊社の創業のきっかけはYKK AP、YKKの創業者 吉田忠雄さんの善之巡環です。善之巡環を根本に置き、芸術と応用行動分析学(行動科学)を手段に、組織で働く人の自律性と創造性を高めるやり方と続け方の研究開発しています。仕事柄、組織で働く人達の行動を観察し、行動から思考を推察をしています。

「人に守って欲しいことは、自分が守り続けることが大切」それは誰でも頭ではわかっているはず。しかし、人間、それができない。できないため、制度やルール、スローガンを問題が発生する度につくり広める。どんどん縛りが多くなる。一方で何が大事なのかがわからなくなる。感情論や精神論が蔓延する。収拾がつかなくなる。これでは、楽しくない。

では、どうすれば良いのか?

例えば、大人が子供に何かを守らせる。大人のパワーで子供をおさえる。「社会でまともに生きていくために必要だから」などを理由にする。しかし、社会でまともに生きていない大人が多い。子供に示しがつかない。子供の観察眼は長けている。

社会で生きている。何がピンポイントかを考えてみる。「仲良くなれない相手であっても傷つけない」恐らくこれだと私は考えています。

何が相手を傷つけるのか?それがわからないこともある。できれば「仲良くなれない相手であっても傷つけない」に「相手のこと、相手の都合を相手の立場になってみて想像する」を加えたい。この2つがあれば、【人に恥じない】で社会の中で生きていける。つらいこともあるけれど、前を向いて乗り越えていける。

商売・ビジネス・仕事も同じ。「仲良くなれない相手であっても傷つけない」「相手のこと、相手の都合を相手の立場になってみて想像する」これが続けば、上手く行く。しかし、これができずに「自分の都合、自社の都合を相手に押し付ける」ことをしてしまう。

「上から指示されだけ。私は悪くない」そうなる気持ちは理解できる。しかし、この言葉を発した直後に何とも言えない気持ち悪さがでる。人に恥じない生き方ができていないからだろう。

「仲良くなれない相手であっても傷つけない」どうしても無理な場合は距離を取ればよいこと。何が相手を傷つけるのかがわからないこともある。だから「相手のこと、相手の都合を相手の立場になってみて想像する」

ますます、何が正しいかわからなくなる。それぞれの立場、それぞれの環境では、それぞれ正しい。矛盾することを矛盾のまま矛盾なく取り扱っていくためにも、「仲良くなれない相手であっても傷つけない」何が相手を傷つけるのかがわからないこともある。だから、「相手のこと、相手の都合を相手の立場になってみて想像する」。

相手と関わる中で、相手の思考、感情、心理まで想像できるようになることで、目的が観えてくる。その目的が生きていく糧になる。

生きていくのは難しい。清潔に生き続けたい。