「こう“すべき”」「こう“あるべき”」。そして最後は「やらない〇〇が悪い」。このロジックは使わない

「こうすべきです」「こうあるべきです」と本気で、正論と綺麗事を言ってくださる方にお会いする。「たしかに100%そのとおり」だと思う。とてもありがたい、感謝している。自分を客観的にみる機会になるため。

「特定の組織や企業との金銭的な関係が無い」第3者の立場から客観的に発言をする人は、社会にとって必要だと思う。しかし、このような人は意外と少ない。発言されるご本人も、そのような立場にあることに気が付いておらず、良かれと思って発言される場合もある。

「こうすべき」「こうあるべき」を口にした直後に、自分の肯定感があがる。自己肯定感は非金銭的な報酬・快。応用行動分析学の根本の原理原則では「人間は不快を回避し、快に接近する」と言う。まさにそうだと思う。人間が「こうすべき」「こうあるべき」を口にした直後の表情から「気持ちいい」が垣間見える。

私にもこの自己都合の偉そうにする経験はある。振り返ると、とても恥ずかしく、申し訳ないと思うばかり。その時は「相手のためを思って」と真剣に思い込んでいるが、実は、それは自分の快(感)を得るためだった。そして最終的に相手が動いてくれない。今となっては「そりゃそうだ」とわかる。悲しいことに、迷惑なことに「やらない〇〇さん(達)が悪い」と他責にしてしまう。自分は何も変わらない。人から嫌われていくだけ。害になるだけだから。始末が悪いのは「〇〇さん(達)はわかっていない」と条件反射で自動的に思考してしまう習慣。

人に言うのなら、まずは自分たちが実践・実験してみて、複数回検証をしてみて再現性を上げる。そのうえで、人に伝えた方が良いと弊社は考えています。そのために、芸術系と科学系の研究機関を分けつつ、共働研究をしています。目先では極めて非効率だけれども、先々を見越すと効率的に効果が得られることもわかっている。

人に恥じない生き方をしようと。偉い人ではなく、立派な人が良い。そこに至らなくても、せめて人に恥じない生き方が良いと思う。最低限、家族、そして子供には恥じないようにと。

例えば、SDGs:Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標は大事なことだと思う。次世代を担っていく人のためにもやるべきことだと思う。とてもきれい。しかし、そこに行く前に、感情に左右される自分に付き合ってくれている家族、子供、仕事で付き合ってくださるお客様・取引先、社内メンバーに恥じない生き方をすることが、SDGsよりも優先順位は高いと私は思う。これがなければ、SDGsはきれいごとになってしまうように考えている。

仕事をする時間は長い。お客様や取引には丁寧でも、社内の他部署の人や部下にはそうではないケースを仕事柄、よく目にする。それでは人に恥じる。利害関係上、この状態に介入し、具体的に変えていくことに踏み込めないでいた過去の自分達がいる。これも人に恥じる生き方。

このような背景があり、部下やメンバーの自律性と創造性を上げていくテキスト「リーダーの行動シナリオ」を無償で公開しています。このテキストは先月まで有料でした。しかし、そこで胡坐をかいていては、人に恥じますし、先々の収益源を創る動機も薄くなるため、見返りを求めず無償でご覧いただけるようにしています。弊社は「需要創造型リーダーの開発®」がコアの事業ドメイン。

スマートクリエイティブマネジメント総合研究所 理事長
ABAオペレーションズ研究センター センター長
リクエスト株式会社 代表取締役
甲畑智康