公共行動研究室®

より善い公共圏を共に創る

より「便利に」なっても、
「生きやすく」なるわけではない。
では、どうするか?

より善く生きていく】には、価値観の異なる他の人たちとも、共に生きていく必要がある。共に生きていくには、自分から関係性を良くする必要がある。人は関係性の中、つまり社会の中で生きている。私たちは【穏やかで安心でき心から笑っていられる関係】を【善い社会】と考えています。

プレスリリース:

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000083.000068315.html

「心からの笑い」の背景には「安心」がある。安心はお互いが「警戒しなくていい」「恐怖を感じない」関係性の中でうまれる。警戒、恐怖がうまれる関係性の中では安心できず、心からの笑いは生まれない。恐怖は嫌悪、不快。人は不快に対して2つの反応をする

回避する

攻撃する

いずれかの反応をする。いずれの反応も関係性を悪くする。恐怖を感じ、嫌悪するため、攻撃する。攻撃には、体を使う物理的なものと、言葉を使う精神的なものがある。攻撃からは【穏やかで安心でき心から笑っていられる関係】は生まれず【善い社会】にはなっていかない。関係性を良くするには、相手を良くする必要がある。受け身では、関係性は良くならない。法整備をしても、不快のはけ口、攻撃の仕方が変わるだけで、善い社会にはならない。

また、自分の価値観で良かれと思い、相手を良くしようとすればするほど相手から反発が起こる。相手の反発に対し、自分もより反発してしまう。「(私が)こんなにしてあげているのに!」という感情。関係性がより悪くなる。相手と自分の価値観が異なることを忘れ、相手の価値観を知ろうとせず、自分の価値観を押し付けた結果。

相手の価値観も、自分の価値観も
どちらも正しい

互いの価値観は、否定できるものではない、優劣をつけるものでもない。ましてや、指導し変えさせようとするものでもない。否定、序列付け、改修をしてしまえば、関係性が悪くなる。公共の前提にある対話ができなくなる対話の目的は、お互いの状態(互いが共に生きる公共圏)をより善くすること。善くする状態を共に想像し、その状態に近づける課題を設定すること。自分の価値観を中心にし、お互いの価値観で衝突していては、お互いが生きていく環境をより善くする目的を創れなくなる。お互いが生きていく環境が善くならない場合、自分の環境も善くはならない。

対話が成り立たないため、各自が各自の価値観にもとづき、各自の各自にとっての正論をぶつけ合い、優劣をつけあう、勝敗をつける。目先の効率は良いが、結局、お互いが生きていく状態をより善くする対話はできず、お互いが共に目指す状態が創れず、どちらかが不満を抱えた状態で終わる。いずれ、不満を抱えた側が反撃をする。目先の効率を追求し、先々を非効率にしてしまう。

とうぜん、互いに生きづらくなる。価値観は、各自がこれまで生きてくる過程でとった小さな行動と思考の中で、生存にとってプラスの結果を得たものが習慣化・固定化された目に見えないもの。各自の生存にとってプラスの結果はさまざま。したがって、価値観を変える場合には、新たな小さな具体的な行動と思考を、少なくとも1年は積み重ねる必要がある。

より善く生きていくには

  1. 価値観の異なる他の人と共に生きていく
  2. 共に生きていくには、関係性を良くする
  3. 関係性を良くするには、相手を良くする
  4. そのために、相手の価値観からはじめる

相手に従順になる必要は無い。相手に服従する必要も無い。善人なろうと意識を変える必要もない。そもそも意識は行動習慣を変えないと変わらないため。目的は共に生きている環境・社会をより善くすること。立ち止まり、相手の行動に「なぜ?」を問い、相手のことを少しづつ知っていく、相手の行動の背景にある考え方、つまり価値観を少しづつ知っていく。

1人で生きていこうとすると、いずれしんどくなる。自分の価値観と近い人とだけと、共に生きていこうとすると、価値観が固定し、価値観の異なるその他の人たちに接触すると不快感が発生し、嫌悪する。最悪の場合、攻撃してしまう。結局、自分達が生きている環境・社会の生きづらさが増していく。

どこにいようが、集団からは逃れられない。集団内の価値観は均質化するが、集団の目的が希薄になるに従い、小さな価値観の差異にベクトルが向かい、集団内に小集団(派閥)がつくられる。1つの集団内部の複数の小さな集団と集団の間で、嫌悪感が発生する。互いの優劣付けに時間が浪費される。であれば、関係性を良くする関わりを小さくても積み重ねていったほうが、次の目的が共に見いだせ、結果、自分も相手もラクになる。生きやすくなる。

  • まず、相手をみて「おはようございます」
  • 何かしてもらったら「ありがとうございます」
  • 迷惑をかけてしまったら「ごめんなさい」

挨拶、感謝、謝罪。誰でも知っている、誰でも、具体的なやり方は知っている行動。こらら3つの小さな行動は単純なパターン。単純なパターンが習慣になるだけでも、関係性が良くなる機械・デジタル技術は、パターン処理にたけている。機械であれば、すぐに再現する。誰に対しても、同じように再現できる。しかし、人間には感情があるため、こんな簡単なパターンの再現ができない。また、混んでいる公共交通機関で、

  • 横入りしない。「(お先にどうぞ)」
  • 下車する際は「後ろを通ります(失礼します)」
  • もし、ぶつかってしまったら「ごめんなさい」

これら3つの小さな行動が増えるだけでも、公共の場でのイライラした空気感は和らぐ。しかし、この小さな行動ができる社会人は極めて稀。我先にと他の人を物かのように押しのける。ぶつかっても気にしない。「余裕が無い」のは事実だと思うが、そもそも、余裕を創る行動をしていないのが原因。

社会人はとうぜん、仕事をしている。仕事は、ある特定の人の問題を解決する、ある特定の相手を良くする思考と行動を積み重ねること。その積み重ねから、その人固有の専門性・技能が生まれ、より相手を善くすることができていく。その結果が、生きていくために必要な報酬となる。報酬は金銭と非金銭がある。いずれの報酬も増えない、そもそもの原因は、このような日常の小さな誰でも頭では知っている小さな行動の不足にあると考えています。

どれだけ技術が発展し、私達の生活が便利になっても、人と人との関係性(社会)は、私たちが自ら善くしていこうと、小さな行動を能動で積み重ねていかないと、良くはならない。パターン化・標準化できることは機械化・デジタル化し、私たちの生活を「便利」する。

しかし、便利になっても
「生きやすくなる」わけではない

より「便利になる」中で
いかに「生きやすくしていく」か?

そのための行動と習慣化の仕掛けを研究開発するため、公共行動研究室®を新設しました。

2023年8月10日

リクエスト株式会社 代表取締役
Behavior engineer®
甲畑智康

人が生きていくには専門が必要になる。専門は人や社会、組織の解くべき問題を解決する手段。誰かの役に立つ手段。専門を異にする人達が、機能分担をして社会や組織が運営される。あるべき状態を必要とせず、正しい状態・標準に近づけていればいい平常時は、各自それぞれの専門領域から出ないことで共生する。

「それは私には関係ない」「それは〇〇さんが悪い」など、仕事をする相手に、お互いが関わらなくとも仕事は進むため、それぞれの価値観の衝突は回避される。平常時であれば機能分担した共生関係で社会は回る。この「分担」は非常時に「分断」に変化し、問題設定を困難にする。

経験したことの無い問題が発生する非常時、あるべき理想とする状態を共に創り、その具現化に向かうための問題設定時には、複数の専門領域の人達が「それぞれの領域を尊重した“共生”」ではなく「自分が安心できる領域(価値観)を捨て“共働”する、互いに関わり、対話・交渉する」必要が発生する。

共働するには、誰かが専門領域から踏み出し、他の専門領域に踏み込む必要がある。当然、他からは批判などネガティブなフィードバックが発生する。平常時の自分の安心感をつくり生産性をあげる線引きを壊す人が必要になる。解くべき問題が、平常時の機能分担(分断)では解決ができないため。

残念ながら、平常時に習慣にした思考と行動、その根底にある価値観が自分を縛る。また、他の領域に踏み込む行動は現実では暗黙的に規制がかかる。規制に対峙し取り除くことができる大人はほぼいないのが現実ではないでしょうか。だから、問題は先送りされる。

「自分都合ではなく『相手都合で』社会や組織をより良くする」「皆がより良い状態で生きてく」ためのあるべき理想の状態、ビジョンが具体的な状態で想い描けており、そのビジョンが経験を通じた検証から肌感覚のある「確信」にまで昇華できていれば、確信が軸になる、腹が決まり、暗黙の規制を取り除き変えることができる。

その前提には、行動をしながら自分だけではなく「他の人達が社会・組織で生きていく」「そもそも、人間がなぜ生きていくのか」の思想や哲学を練り続ける必要がある。その積み重ねが、他の専門家の納得になる。しかし、現実は「思想や哲学は古いもの、非効率なもの、(宗教の教義のようで)いかがわしいもの」とする時代が続いている、そもそも、思想や哲学、広義の歴史が教育されないため、「相手のことを考えているように見せかけた、ワンフレーズでわかりやすい言葉で、刺激のあるパフォーマンスでコーティングされた自分都合のビジョン風のモノ」がほぼすべてになる。自分の長くて6か月先までの目先の評価を得る、自分都合が根本にある。そのような思考と行動を身につけ生き残ってきた大人たち。

平常時に機能分担した人達は、自分の横の領域であっても平常時から関係がつくれていないため踏み込めない。そもそも、機能分担は、立ち止まって相手のことを、相手の立場で考える、思考することを必要としない。決められ”与えられた”役割(標準)を担うことが習慣になることで、自分の役割以外は、他責する習慣が身に付く

機能分担の中で「優秀と評価され」育ってきたリーダーの9割以上は、オペレーター型のリーダー。オペレーターは上からの方針と指示、決められたことをより速くよりミスなく回すことができる。組織内部の暗黙・顕在の”標準”に合わせることにたけている。標準があるから、組織は効率的に機能する。

しかし、標準があるため、他責が生まれる。役割分担により、分断された組織の中で、標準だけをみて、標準に合わせることで、思考することが欠落していく

相手のことをみることも欠落していく。具体的には、立ち止まり「なぜ?」を問うことが消去されていく。思考するよりも標準(パターン)に合わせること、標準をミスなくより速く使いこなすことは、目先では効率よく成果がだせ、かつ、それがより良く評価されるため。

「標準化し効率を上げる(デジタル化・機械化する)」ことと、「問題を特定・設定するために立ち止って考える」、この両方が必要だが、組織は効率を追求する特定を持つため、偏ってします。

※参考:
組織で働く人たちの思考が欠落する背景

組織行動科学®

組織は目の前にある需要に効率よく対応する装置。
目先の効率、時間当たりの生産性を上げるために、 

  1. 成果が出た一連のプロセスを細分化し、役割を分担、かつ職務を定義する
  2. 成果が出たやり方からパターンを抽出、それを組織の標準とし正解を示す
  3. 標準を誰もが再現できる負担の無いものにし、標準に取り組みやすくする
  4. 取り組みやすさは習熟を生み、習熟は個人の日々の小さな達成感をつくる
  5. 毎日の「できた!」「終わった!」小さな達成感で、手段の目的化が進む
  6. 仕事の目的「お客様の問題解決」が消え、上からの指示の範囲のみで動く
  7. 指示された範囲でより速くよりミスなく標準で動く社員が高く評価される
  8. それほど迅速かつ正確ではないが、標準を日々まじめにこなす社員も評価
  9. 評価は承認、承認は言語報酬。言語報酬が社員の組織への執着を促進する
  10. 目の前の承認が無くなることを恐れ、自分が失敗しそうな領域を回避する
  11. 失敗しないため、自分の役割”以外”がわからず、思考がパターン化される
  12. KPI等プロセス管理をすることで、社員が分断標準へ近づく競争が強化
  13. 自分で判断することが無くなり、自分の行動に責任を取らない状態になる
  14. 責任感覚が無くなることで指示命令が通りやすくなり生産効率が高まる

1から13までを適切に設計・運用できない組織は、”統制”のために暴力などの圧力を使用。暴力は心理的なものと身体的なものに分類できる。言葉を使い不安や恐怖心をあおる行為も暴力。

上記”7”と”8″の報酬(承認)は、支配と服従関係を意図せずともつくり上げる服従関係の中にあると、人間、立ち止まって思考することが欠落していく

上記”13”が組織のメリットであり、デメリット。

責任感覚が無くなることで
指示命令が通りやすくなり
生産効率が高まる

その結果、受け身、思考せず、言われたことを処理する機械のような人ができあがる

自分の目先の非効率になる問題解決には、強く反発する人ができあがる

当人たちは「思考している」「考えている」と言う。しかし、以下のような問題を解決する思考、「立ち止まり、事実を確認し、『なぜ?そうなのか?』を問い、原因や要因を特定する」思考は無くなっている。標準(パターン)を正解とし、標準を繰り返すことが習慣になっているため、「なぜ?」を何に問えばよいかが観えない

「なぜ?」を問うには、あるべき理想の状態と、現実の事実を比べることが必要になる。組織の標準・正解を、よりミスなく、より速く使いこなすこととは異なる。そもそも、標準・正解を、よりミスなく、より速く使いこなすことが仕事の目的になっているため、立ち止まる習慣が形成されない

問題が起きても、そもそも問題が特定できないため、また、パターン処理が習慣になっているため解決策は過去の手持ちの打ち手を使うため、問題が肥大化していく。問題が肥大化しても、与えられた役割を標準・正解をよりミスなくより速く使いこなすことが目的のため、悪気無く、条件反射のように問題解決が進まないこを他責にし、スルーしていく。「言われたことをやった」で仕事が終わる。

何かが起きても、他責が習慣化しており、責任感も欠落しているため、悪気なくスルーしてしまう。その結果、発生しているのが隠蔽。当人は隠蔽したと思わないケースがある原因が、ここにある。

一方で、組織内部の正解(標準)を使いこなすことを目的にすることで、事業環境がそれほど変わらない状況では、個人では具現化できない価値を社会へ提供することができる。これは組織の最大の強み、社会への貢献になる。

組織環境を好むか好まないかは、各個人が決めること。当然、生きていく上で、社会全体にっても良い面もあるため。

デジタル化、つまりパターン化できる標準化できる行動と思考は、人から機械の職務に置き換わることで、人は以下のように、自分から能動で思考する必要が出てくる。

デジタル化が進むことは
人が思考するきっかけになる

※参考:思考のパターン

① 発生型の問題は?」:
どのような問題( 事実 )が発生? 問題が無いのも問題

② 「潜在型の問題は?」:
発生型問題の原因を特定する過程で潜在型問題が観える

③ 「根本原因は?」:
潜在型問題になぜ?を3~7回問うことで根本原因が観える

④ 「あるべき状態は?
根本の原因を無くした状態が、あるべき(理想の)状態

⑤ 「設定型の問題は?」:
現状をあるべき状態に近づけるために、問題を設定する

⑥ 「解決策は?」:
過去の打ち手(パターン)をそのままあてはめ処理し無い

デジタル化が進めば進むほど、人は①から⑥のように、結果的に、思考するようになるため、人と人との関係性=社会は、善くなっていくと想定できる。

お互いが立ち止まり、事実を共有しあい、その原因を仮説で掘り下げ、その仮説を検証する過程で、お互いの状態をより善くする理想の状態が観えてくる。この状態に近づくことで、ようやく

【民主】という
考え方が機能する

一方で、デジタル化が進まない場合、私たちが標準・パターンを、よりミスなくより速く使いこなせるようにする必要がある。標準・パターン(正解)を身に付けることが目的になる。より善く生きているために、立ち止まって考えることができなくなる。

事実にもとづいて考える習慣が私達から不足すると、目先を対処・処理することが主になり、問題の先送りが悪気無く起こる。

相手を思い込みと偏見を使いみるようになり、関係性が固定化される。

生きている中で、誰であっても自分に不快なことが起こる。

人間、不快を回避する。もしくは、不快が嫌悪の場合、攻撃につながる

人間、快に接近する。快を得るための手っ取り早い手段は、「自分より弱い相手に」「自分より相手が強い立場の場合は、自分が安全な状態から相手に」嫌がることをする。相手が嫌がる。この直後に優越感が得られる。優越感は行動科学で言う「快」、快は行動をつづける「報酬」になる。

相手に相手が嫌がることをする人は、仕事で達成感を得ていない。また、「人から必要とされる」「人に喜ばれる」「人から期待される」などの承認を得ていないケースが多くみられる。承認も「快」、人に必要とされる、人から喜ばれる行動と思考をつづける報酬になる。人間、快・報酬を必要とすることがわかる。

特定の人、不特定の人にネガティブな言葉をぶつけるのも同様。「言ってやった」「やってやった」は達成感。達成感は快。ここに「いいね」が与えられると承認が得られる。承認は快。よりネガティブな行動が増えていく。スローガンや精神論を言葉にすることも同じこと。スローガンや精神論を言葉にした直後に、言葉にした本人は快・報酬を得る。気持ちが良くなる。結局、現実の問題は解決されない。

このような現状の中で、どうすれば公共の行動が正常になるのか

時間はかかるが教育を変えていくことが本筋で望ましい。本来、教育は「人間が社会で、人と人との関係性の中で生きていくための思考を含む基本行動を習慣にする」ことが目的。

しかし、人間が社会で生きていくための基本行動を大人が身に付けていないのが現状ではないでしょうか。大人であれば、人に言うことは率先垂範を続ける。しかし、できない。この問題を解決するために、弊社のABAオペレーションズ研究センターが機能しています。また、基本行動を具体的に定義し、それを習慣化させていくことをした場合、批判は確実に出る。校則と同義に扱われる。批判を押し流して進めることは、今の時代、現実的ではない。より批判を生み、新たな問題を生み出してしまう。したがって、実行性は乏しい。では、どうすれば良いのか。

「『人間として恥じない生き方をしているのか?』を自分だけに問いかける」

「皆がやっているから」「まわりがやっているから」「〇〇さんがやっているから」を理由に、人に恥じる行動をとってしまう場合、せめて「家族や自分にとって大切な人が、悲しまない生き方をしているのか?」を自分自身に問いかけていけば、社会は今よりは良くはなる。人に恥じる生き方をしてしまっていることを「不快」に感受できれば、不快を回避しようとするのが人の根本の原理原則。

人の時間とお金をかけて、すばらしい政策をこしらえても、今の社会環境では具現化されることは無い。まずはここからはじめることが負担感がさがり、継続しやすくなる。「人に恥じない生き方をしているか?」を自分に問う人間の数が増えることで「社会で生きていくための基本行動」が大人の中で常識化され、それを教育の中に入れていくことができる。そこでようやく教育が機能する。今、そしてこれからの教育は、過去のような「人間を機械に近づけ、生産効率をあげる」ことは目的にはならない。機械はパターンを繰り返す、パターンを繰り返す機械は人件費よりも安く導入でき運用ができるようになりはじめているのだから。

相手の立場を想像し、まじめにかかわり、まじめにはたらく。相手が喜ぶ顔が目の前にある。相手から期待される。相手の喜ぶ顔と期待の言葉が、継続する快・報酬になる。

人間、相手がポジティブな反応をしてくれるから生きていることを実感する

相手がポジティブな反応をするには、自分の行動と思考を変える必要がある。いきなり相手の立場を想像することはできない。簡単だと頭では思っても実践することは難しい。同じ組織に5年以上いる場合は特に難しい。「国民(お客様)第一」「お客様(国民)のために」のようなスローガンはそれが実現できていないため発せられる。

自分の行動と思考を変えるためには、負担感を下げる必要がある。負担感の少ない初めの一歩が「自分は『人に恥じない生き方をしているのか?』」を自分だけに問うことではないでしょうか。まずは問うだけでいいのだから。それを3週間続けてみると習慣の入り口に入ります。次は1回だけでも「相手の都合を優先してみる」。相手の都合を優先することで、相手にも自分と同じように事情があることがわかる。

【本取り組みの背景】2021年7月29日

多くの企業・組織のリーダー候補に芸術と組織行動科学®に基づいた開発を提供させていただいています。一方で、日々、モヤモヤが蓄積、閾値を超えたため、本取り組みを開始することにしました。

大衆は「理解力は小さい」が「忘却力は大きい」。
だから、

  • 嘘は目先を切抜ける手段だから何回ついても良い
  • 率先垂範は続けずに一時のパフォーマンスで良い
  • 問題解決するより火消する演技で先送すれば良い
  • 人が観ていないのなら非難されることをして良い
  • 都合が悪くなったらしばらく表に出なければ良い
  • 表に出る場合は実現の想定がない提言をして良い
  • 反論されたら正論と一般論を淡々と並べれば良い
  • もしもの時はスケープゴート役を差し出せば良い
  • 情勢が悪くなったら良い情勢に乗り換えれば良い
  • 誰かに迷惑をかけたことは忘れ謝罪しなくて良い
  • どうしても謝罪を求められた場合には他責で良い
  • 逃げ切れない場合「科学的な事実はない」で良い
  • それでもダメなら謝罪の文面を淡々と読めば良い

これらは、責任ある立場の大人たちが、緊急時に、あたりまえに、ふつうに、常識かのようにやっていた行動の事実

原因は組織・集団内部の標準・正解をよりミスなく、より速く使いこなし、それによって高い評価を得てきた結果。

公共圏をより善くする理想を掲げ、それを具現化するために試行錯誤し、標準・正解を創り上げてきた世代がいなくなった結果でもある。かつては標準・正解の背景にある「考え方」があった。その考え方が継承されなかったことも原因。

であれば、今、これからの公共圏をより善くする理想を掲げていけば、この問題は解決できる。

弊社は行動科学、応用行動分析学を専門にした事業をしています。行動経済学は応用行動分析学の中の1つの領域です。行動経済学から行動公共政策が発生しています。この領域に入ることにしました。私の立場、弊社の立ち位置から、できることは地道にやっていく。

私たちは【穏やかで安心でき心から笑っていられる関係】を【善い社会】と考えています。

この考えを具現化するために【創造力=共に理想を創る問題解決力】の普及を第一に進めています。

これからの社会人の基礎スキル

2023年8月10日

リクエスト株式会社 代表取締役
Behavior engineer®
甲畑智康

コア技術

研究機関

smart creative management® 総合研究所

ABA Operations Research® センター

XR HRD® 研究センター
XR HRBP®)

公共行動研究室®

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